その仕事は楽しいか

日常の中で感じた悩みと行動

その仕事はプライベートの時間も注ぎ込める楽しいか

ふと気づいたことがある。
就業の時刻を待ちおどおしく思っている自分がいる。
17:15を過ぎることで在籍の義務がなくなり1秒でも早く変えることが推奨されるようになる。
そんな中で、残業が発生した時は、やりたくないけど終わらないからやらなくちゃ。早く帰りたい。こんな仕事したくない。
などと考える自分がいる。

もちろん残業代という報酬は得られる。しかし残業代と引き換えに組織に対して人件費に損害を与えるため、組織からの評価は下がる。
すなわち残業は推奨されていない。推奨されないがやらなければならない。
つまり。殺人的な量の業務を振られて、やむを得ず、やりたくもない残業を苦しみながらやっていると組織からは評価を下げられる訳である。

組織からの狂気に満ちた業務量は一旦先送り課題にするとして、

就業時間外に仕事と向き合うモチベーションについて考えてみたいと思う。
仕事が嫌で嫌でしょうがない。業務時間終了後すぐに頭を仕事から切り離したい。早く忘れたい。
このような考え方は本質的に違っているのではないかと違和感を覚えた。
もっとできるようになりたい。もっと工夫してやろう。そうしたらきっと楽しんじゃないか。
就業後も楽しんで仕事のことを考えていたら、より業務効率は爆上がりするのではないだろうか。
そんなことを考えたくなるほど楽しい、刺激的な仕事がしたいと思った。
工夫すればするほど評価が上がり、給料も上がり、人生が幸福に満ちる。
なんと素晴らしい人生。仕事をしていない時間で他と差をつけ、自分の評価がぐいぐい上がる。
みんなは少しでも早く解放されたい。しかし自分はもっと長く繋がっていたい。
そのような精神状態に到達したいと思った。

しかし現実は
仕事を効率的に回せるようになるために、日々、工夫を続けてきた。
しかし、その先に何があったか?
給料は上がったか? いや上がらなかった。厳密には僅かに上がるが、多量の仕事を回すための工夫は給料には反映されない。
仕事は増えてもお値段据え置きである

では自分の評価は上がっただろうか? いや上がらなかった。工夫を続けて改善をし続けてきて5年以上たち自分以上に評価を受けている人は多い。
では自分よりも高い評価を得ている人は何をしているのだろうか?
突き詰めると何も工夫していない。同じことを続けているだけでただ、定額の昇給しているのみだ。

つまり工夫は無駄だとも考えられる。
しかし、日増しに増えるタスクと責任の中で時間のやりくりを工夫し続けなければ、回せない。
つまり私の場合は、工夫をすることが仕事の一部になっているというのだろうか。。
こんな理不尽なことがあるだろうか。
毎日、同じ仕事を工夫せずにただ、繰り返ししている人の方が、
昨日より今日、今日より明日と作業効率と生産性に頭を悩ませ考え実践し続ける自分よりも評価される。
工夫をやめればいいのだろうか。しかし、工夫をやめることで仕事はあっという間に回らなくなる。
すなわち私が工夫をやめ評価される人と同じ方法をとれば、私の評価は下がり続けることを意味している。
なんという理不尽な現実。

ある人は言っていた。できてしまうから、振られるのだ。できなければ、仕事はふえない。
確かに一理ある。ただ、仕事の責任は全て自分に返ってくる。同僚は毎月のようにやめていく。
全体を理解した人が自分だけになってもう数年経っている。

後輩への引き継ぎ、周りへの情報共有、追加リソースはことごとく却下された。
理由は、「普通一人で回すものだから」だそうだ。

この理不尽に折り合いをつけて自分が楽しむための工夫をもたなければと思う。
過去自分が、未来へのギフトとして仕事を考えれば楽しくなると考えていたことを記事を振り返って思い出した。
自分の評価はいつ上がるのだろうか。自分の給料はいつ上がるだろうか。定年までコスパの良い人間として使い倒されるのだろうか。

何をしている時が楽しいか。
休みの日もつい本を買って勉強したくなってしまうようなことは何か。
図書館や本屋でつい手に取りたくなるコーナーを探すことはとても良いと思った。
休日というリラックスした中で、それでもつい考えていることが楽しくなることということだ。

先日は海外生活や、投資や、副業の本が目に止まった。
今度はそういう目線で本屋に行って、本棚を探ってみようと思う。
お金を出してまで学びたい内容、しかもそれが貴重な休日に。それはどんなことなのか。

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